昔と今のゲームに求められてるものの大きな違い なぜゲームのやる気がでないのか?現代人が持つ生きづらさについても考察する

こんにちは!ジェイです。

インディーゲーム制作者として、どんなゲームを作った方がユーザーに受けるのだろう?という問題は、常に考えさせられる大きな問題ですよね。

そこで本日は、ファミコン時代からゲームをプレイし続けて、今もゲーム開発をしている私が今と昔の日本の状況の違いを考察して、ゲームユーザーの求められているモノの変化を具体的に示していきたいと思います。

昔のゲームと今のゲームの違い

昔のゲームとユーザー

ファミコン時代のゲームを思い出してみると

  • 1ドットしかない見えない弾が急にとんで来てやられる
  • 敵にやられるととんでもないくらい最初に戻される
  • ちょっとしかない段差を降りるだけで死亡
  • ノーヒントの見えない落とし穴で何度もやりなおさせられる
  • セーブ機能がないからわざわざパスワードを入力させられる
  • スタート直後の町が見えない(仕様)

ファミコン時代には、こんな理不尽な状況が平気であったんですよ笑

しかもこの時代は説明もなく、高難易度なのにいきなりプレイさせられて覚えていくしかないし、インターネットもなかったので、情報もほとんどないので、友達に聞くか自分でなんとかするしかなかったのです。

んで、ここまで聞くとなんでそんな状況でもゲームを続けられたの?と思った人もいるでしょう。

この答えは単純で「選択肢が他になかったから」です。

インターネットがなかったので、他に家でできることは、テレビをみるか本を読むくらいしかなかったんですよね。

しかも子供の頃はゲームを買ってもらえるのは、自分の誕生日かお年玉をもらえる時くらいです。そうなると必然的に1つのゲームをやりまくるしかないんですよ。

スーパーファミコンのファイナルファイトを1年以上毎日やり続けるなんて今思うと絶対にできないですね笑

さらにファミコン時代には、ノートにゲームの攻略情報やパスワードなどをまとめておいたりしました。

昔はセーブ機能がなかったので復活の呪文などをノートに書き残したりしてたんですよね。

またゲームセンターが流行っていた時は人がたくさん集まっていたので、回転率を上げるためにも必然的に高難易度になっていたのだと思います。

ただ思い出してみると、今よりも苦労することが多かった分、昔のゲームの方が最近やったゲームよりもはるかに記憶に残っているんですよね。(特にサウンドが良いゲーム)

この頃はゲームの黎明期ということもあって、ユーザーは純粋に情熱や好奇心で遊んでいる人が多かったです。

技術的な制約も多くて、ゲームのボリューム自体はそんなになくても、周りの友達がやっていたり、おもしろそうなゲームは買ってました。当然この頃に「積みゲー」なんて言葉はなくて、買ったゲームはほとんどやり尽くしてました。

現在のゲームとユーザー

2024年現在では、インターネットが普及して、動画やSNSなど様々なコンテンツが世の中に出回るようになりました。

ゲームもコンシューマーゲームから、カジュアルなスマホゲームや大型のオープンワールドのMMORPGなど、昔に比べて多種多様のゲームが出てきました。

特に社会的にインフルエンサーの影響が強くなり、TwitterやインスタやYouTubeなどからバズって、ゲームの人気が出るようなこともよくありますよね。

スイカゲームが流行ったら真似して似たようなゲームがたくさん出てきて、ヴァンサバが流行ったら真似して似たようなゲームが出るみたいにゲームが大量生産されます。

またゲーム実況も今ではめずらしくなくなり、自分がプレイしてないゲームでもYouTubeの実況を見れば、有名なゲームであれば、全部内容がわかってしまいます。そのため、ネタバレするような機会もありますよね。

私自身も昔と違って、ゲームに対するやる気がなくなってしまって、YouTubeのゲーム実況を見るだけで満足してゲームをプレイしないというような経験も増えてきました。

毎回私が主張してる1つのことは、昔よりも今の方がゲームを含むコンテンツの寿命が圧倒的に短くなっているということです。

これを見てるあなたも最近なんだかゲームに対してやる気がでないという経験をしてませんか?

ゆっくりでいいので理由を考えてみて下さい。

年をとったからゲームを楽しめなくなったからでしょうか?

若いからゲームを楽しめるのでしょうか?

いいえ、そんなことはありません。


確かに私はゲームのやる気はなくなっていますが、タイピングに関しては20年前とそんなに変わってないと言い切れます。

では、このやる気が出るか出ないかの差はどこから生まれるのでしょうか?

以下の記事でウメハラのセリフの引用

「ゲームに飽きたんじゃなくて、このゲームでこれ以上強くなれなくなった自分に対して飽きたんじゃかって。」

このセリフを聞いて私はなるほど!と納得しました。

動画で見ただけでやる気が起きないゲームやボリュームが大きくてやる気が起きないゲームなど、自分が成長できる余地を感じられないからというのは非常に納得できる理由です。

逆にタイピングはいくらやってもまだ成長できる余地はあると思ってます。

毎日タイピングしていても、このワードは打ち方を変えたらもっと早く打てるのではないだろうか?とか、練習方法も記録が出るまでノルマを設定した方がいいのか?とか、色々試しながら、常に好奇心を持ってやっているので、飽きないんですよね。

そして、現在のゲームユーザーが求めてるものは以下の記事が参考になります。

要約すると
現在は、頭の使うゲームが減りユーザーはより快適さを求めるようになり、ゲームはアートからドラッグとして認識されるようになった。

これかなり芯を食った部分だと思いませんか?

初めて課金というマネタイズが出てきた時は、世の中の人達は否定的な反応をする人も多かったです。

ですが、今はソシャゲでガチャなどで射幸心を煽って、課金してもらうモデルはまったくめずらしくないですよね。

もちろん、これ自体は悪いことだと言うつもりはないですけど、ここには「好奇心」や「成長」以外に「プライド」や「承認欲求」などまったく別の欲望が多く混ざってしまうのも否定できないでしょう。

ゲーム黎明期は、単純が上手くなるために何をしたらいいか考えたり、どうしたらクリアできるんだろうと好奇心を中心に考えていたんだと思います。

現在では様々な要素のゲームやコンテンツが出てきたため、単純に情熱や好奇心だけでゲームをしずらい仕組みに世の中がなってしまっているとも言えるでしょう。

現在の人々がやる気がなくなった理由

1980年代の日本はまだ高度経済成長期で、終身雇用制度や年功序列で1つの会社に勤め上げて年金をもらって余生を過ごすという価値観が当たり前でした。

24時間戦えますかという「リゲイン」のCMはとくに有名で、「お客様は神様」という典型的な昭和な価値観がまだまだあった時です。

その後、バブル崩壊した後に企業は内定を絞り、後の就職氷河期世代を誕生させる原因となる数々の日本政府のトンデモ政策が行われます。

ここでは深く語りませんが、実は、私自身も就職氷河期世代でその中でも、最も凍てつく有効求人倍率0.37倍で自殺者数最高の氷河期中の氷河期世代です。

「安楽死を合法化」や「働きたくないから死にたい」などの声を、生のリアルタイムで聞いて実感しながらもなんとかギリギリ生き延びてきました。

とにかく気合を入れてやれ!我慢は美徳みたいな日本特有の雰囲気が色濃く残ってたんですよね。

現在の若者のZ世代は出世欲がなくて仕事よりプライベート重視で「静かな退職」なる言葉がトレンドいりしてるのを見るとあまりやる気がないように見えます。

こういうと批判的に見る人もいるかもしれませんが、氷河期世代の自分から見ると割と合理的な考え方だと思います。

クソ真面目に会社に努めても体と精神をぶっ壊されるだけで、自分の人生が保証されるわけではないので、そうならないように考えて行動するのは、当然だと思います。

しかし、あんまり経済の話をしても暗くなるだけなので、ゲームのやる気の話に戻しましょう。

最近やたら「異世界転生」が流行っているのは、なぜだと思いますか?

「無理ゲー社会」というワードがトレンド入りして、書籍にまでなったのはなぜでしょう?

答えは、現代の日本社会では一度レールを外れてしまうと逆転不可能だと多くの人が感じているからです。

こんな希望のない状態で、ゲームに対して好奇心を向けたり、情熱を燃やしたりするのは難しいんですよね。もちろんゲーム制作も同じです。

更に昔と違って、SNSで大きく成功している人の姿を見ることも出来ます。上には上がいるのでいくら上にいっても無限の欲求地獄の中から抜け出すのは難しいです。

他人と比較してる限りは自分はダメだと思ってしまうんです。

こういう状況の日本では昔よりもコンテンツに癒やしや快楽を求める傾向が強くなるでしょう。

だから、RPGやストラテジーのような深く考える必要があるゲームは求められなくなってきてるんですよね。

手っ取り早く、気持ちよくなれる快楽をユーザーが求めているので、ゲームを作る方がおもしろくても長く時間のかかるようなゲームは、現代の日本ではなかなか受け入れられづらいんです。

現代の日本の生きづらさの正体

結論からいうと、普通のハードルが異常に高くて理想と現実のギャップがありすぎるからです。

世間一般の普通の家庭というのをイメージしてみましょう。

クレヨンしんちゃんの野原家が平成で普通の家庭ということで設定されました。

でもこちらの記事を参考にすると野原家の暮らしをするには、現在の平均年収の倍は必要になるらしいです。

現在でこれを普通の基準にしては生きづらくなりますよね。

そして、ゲームを作るのもこれと同じ理由で苦しくなってしまうのです。

サイズや情報量の大きいゲームを作って、現在の日本のゲームユーザーに楽しんでもらおうという試み自体、現在のユーザーが求めてるものと大きく乖離してしまっているんです。

もし、現在の日本のゲームユーザーが求めてるモノをゲームとして提供するのであれば、てっとり早く接種できる美少女やエロやギャンブルなどの快楽か癒やしを提供するようなモノが合っていそうです。

逆にRPGやSLGなどストーリー中心や頭を使うゲームなどは、これからも厳しくなっていくと思います。

絶望を避ける方法

ここまでの内容を見るとゲームだけでなく日本がオワコンだから救いないよみたいになってますよね。

正直、私自身、ゲームプログラマーとしてUnityやUnrealEngineを使ったり、オンラインゲームをがんばって作ったり、J-TypeEngineを作ってみたりと色々してみましたが、どうしたらいいのかまだわかっていません。

ただし、死にたくなるほどの絶望を避ける方法は知ってます。

  • 他人と比較しない
  • 自責思考で生きる
  • なるべく刺激を避けて自然と触れ合う時間を作る
  • 普通とか常識はその時代の人が作り上げたものだと認識を持つ
  • どんな恵まれて見えるような人もでも苦しいことを知る
  • 自分の感情を素直に受け入れて言語化する

特に重要なのは「人は他人の苦しみを知らない限り嫉妬して余計苦しくなる」ということです。

「どんなに裕福で恵まれてる人達もそれぞれ違う苦しみを持っている」とわかった時には、自分だけでなくてみんな苦しいんだ!と思えるだけで心が軽くなるんです。

SNSでキラキラしてるような人たちも苦しい部分は見せてないだけなんです。

それを理解するには、自分の感情に素直に受け入れて、言語化するのを繰り返していると不思議とネガティブな感情とも向き合えるようになってきます。

例えば、とてつもない怒りの感情が止められなくて、怒りが湧くたびに誰かに攻撃したくなっていたとしましょう。

その場合は、すぐにその場から離れて、自分に向かって「なんで怒っているの?」「本当にその人のせいなの?」湧いてくる疑問をすべて自分に向かって問いかけてみましょう。できれば、紙に書いてみるのが一番良いです。

これを何回も続けていると、そのうちもう1人の自分がいるような感覚で冷静に問いかけられるようになってきます。

すると不思議に他人を攻撃するような感情がなくなり、怒りの感情と向き合って、その感情を消化できるようになってきます。

私自身こうやって、自分の感情に素直に生きるようにしてから、不思議と他人の気持ちや欲求が少しだけ理解できるようになってきました。

すると嫉妬がなくなって、他人の苦しみも少しずつ見えるようになってくるんですよね。

今、私が見えてる苦しみは、個人ゲーム制作者が簡単なゲームを作っても、ほとんどの人が反応をもらえなくて苦しいという状況です。

ゲームをプレイしてるだけの人は、「どんな思いをしながらそのゲームを作っているか」「どんな苦労をしてそのゲームが完成したのか」というのをほとんどわからないんですよね。

逆にゲームを作っている人は、その痛みはわかるものの「自分のゲームをやってほしい」という気持ちの方が先行してしまいます。

私もこの状況を見て、個人ゲーム制作者が作ったゲームをYouTubeなどで紹介して、応援してあげられたらなと思うときもあります。しかし、自分自身に余裕がないのに加えて、動画編集に適正がないんですよね。

編集なしのショート動画とブログの組み合わせでやろうかな?と只今も考え中です。

まとめ

最後に話はそれてしまいましたがまとめると

現在のゲームユーザーは、あまり深いことを考えないで済む手っ取り早く快楽を接種できるゲームや脳死でできるゲームを好む傾向がある。ということです。

この流れに合わせて快楽をお手軽に接種できるか癒やしを提供できるようなゲームを作るのが、日本のゲームユーザーに適したゲームなのではないかと考えてます。

ただし、unityroomを見てる限りだと意外とタイピングゲームも行けるのではないかと思ってます。

絡繰くろあさんにJ-TypeEngineを使って作ってもらった「タイピングクライシス」もかなりいい感じでPVが伸びてるので、そのプラットフォームごとに戦略を練っていけば、まだまだ個人ゲーム制作者にもチャンスはあるのではないかなという希望は持っています。

私自身もどんなことをすればいいのか?という明確な答えは持ち合わせていません。

ですが、できるのであれば、快楽には流されずに、ドット絵を描いてくれる絵師さんに出会って、昭和の魂のこもったレトロゲームを作って、そのゲームの作り方をブログで提供できたら嬉しいなとはふわっと思っています。(それまではe-typingとWeatherTypingとタイピングクライシスを打ち込む予定)

最後に、もしゲームを作っても誰にもやってもらえなさそうと不安に思っている人がいたら、うちのディスコードサーバーに入って下さい。

あなたが作ったゲームは私が必ずやるから安心して作って。

完成してなくてもいいんだよ。

というメッセージを最後に終わりにします。ここまで読んでくれてありがとうございました!

https://unityroom.com/games/typing-crisis